金環蝕
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昭和39年夏、与党・民政党の総裁選挙が行なわれ、現総裁にして内閣総理大臣の寺田政臣と最大派閥の領袖・酒井和明の一騎討ちとなった。数で劣る寺田総理が率いる寺田派は党内切っての実力者で副総理・広野大悟の派閥と協調して必勝を図った。その段階において両陣営とも票集めに10億円以上の実弾を投入した。中には広野派の神谷直吉代議士のように両陣営からちゃっかり戴く者もいた。激烈な選挙は僅差で寺田の三選で幕を閉じた。 それから数日後、金融業を営む石原参吉の元に内閣官房の西尾貞一郎が訪れ、星野康雄官房長官(寺田派)の名刺を持参したうえで秘密裏に資金を用立てて欲しいと告げる。ところが石原はこの申し出を断るものの星野の名刺を持ち去る。金融王として裏の世界を渡り歩いた石原は直感的に星野の周辺に何らかの疑惑があることを思いつき、星野の周辺を洗い出し始めた。その過程で寺田総理の郷里・九州の福流川ダム建設を目論む竹田建設と発注元の電力開発株式会社(小説では電力建設株式会社)若松圭吉副総裁の一派の談合と汚職の存在が浮かび上がる。