首藤剛志
首藤剛志
大学受験に失敗し、妹の買ってきた専門誌『シナリオ』を読んだことがきっかけで、予備校進学のための学資でシナリオ研究所へ入学する。そこで書いた脚本が認められ、1969年に19歳でテレビ時代劇『大江戸捜査網』の第45話「小判に秘めた恋」で脚本家としてデビューする。しかし、自身の納得のいかない脚本の直しに嫌気が差し、「やりたくもない人情ものなどたくさん」とシナリオを書くことを止めてしまい、その後は教育機器や冠婚葬祭関係のセールスマンをしながら、少女漫画の原作の手伝いやドラマのプロットなど名前の出ない仕事をしながら時を過ごす。その後、セールスマンの仕事で貯めた金でヨーロッパを放浪し、その金を使い果たして帰国すると、知人である脚本家の宮内婦貴子からの紹介で、1976年11月にダックスインターナショナル制作のテレビアニメ『まんが世界昔ばなし』における「かしこいコヨーテ」で脚本家として復帰する。以後、ダックスでは『巴里のイザベル』や『まんがはじめて物語』から始まる一連のシリーズを長く手掛けた。 1980年代前半にはタツノコプロ作品も手掛けるが、本人の作家性が発露された出世作となったのは葦プロダクションで原案からシリーズ構成まで担当した『魔法のプリンセス ミンキーモモ』と『戦国魔神ゴーショーグン』である。両作の中心演出家だった湯山邦彦とは、1990年代に『ミンキーモモ』の続編や『ポケットモンスター』でも仕事を共にした。 1984年には第1回日本アニメ大賞における脚本賞を『まんがはじめて物語』・『魔法のプリンセス ミンキーモモ』・『さすがの猿飛』で受賞した。小説家としても活動し、代表作には『永遠のフィレーナ』シリーズがある。 晩年は『アニメスタイル』のウェブサイトにコラムを寄稿していたほか、長編作を準備中であった。本人が制作に関わった主要な作品における脚本などの資料は、かつて本人が居住していた神奈川県小田原市の小田原市立図書館へ寄贈されている。図書館の所蔵している資料の一部は小田原文学館に常設展示されている。 2010年10月28日に訪問先である奈良県奈良市のJR西日本奈良駅の喫煙所にてクモ膜下出血を起こして倒れ、救急搬送された後に緊急手術を受けたものの回復せず、翌29日未明に死去した。61歳没。 2011年には東京都杉並区の杉並アニメーションミュージアムにて『追悼 脚本家 首藤剛志展』と題した追悼展覧会が開催されている。 2017年公開のアニメ映画『劇場版ポケットモンスター キミにきめた!』では、序盤の展開の基になったTVアニメ版第1話の脚本を手掛けたこともあり、一部脚本という形でスタッフロール掲載されている。
代表作 Writing
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誕生日 1949-08-18
出生地 Fukuoka - Japan
別名